前回記事で、ナメクジウオゲノム論文について、私から見た論点をまとめました。読む人によって論文のポイントは異なります。中でもゲノム論文はそうです。それで、結構こわごわアップしたのですが、ごく内輪では評判が良かったので、気を良くして関連記事を書こうとおもいました。
それは「Ohnologue(オーノログ)とはなにか ?」ということです。
まだあまり知られていない単語かもしれません。でも、脊椎動物進化の研究者の中では、少しずつ市民権が得られているようです。
ホモログ、パラログ、オーソログそしてオーノログです。イギリス人が発音すると「オノログ」みたいになるようで、ホモログ、パラログ、オノログというのは、韻の踏み方が良いらしいですがそういうことは私には分かりません。
オーノログとは、日本の誇る進化研究者の一人、大野乾(オーノ・ススム:1928-2000)の名前を冠してオーノログと呼ばれているのです。誰が言い始めたのか、いつか調べてみたいと思いますが、おそらくヨーロッパの研究者コミュニティーから登場したように思われます。私自身は、2007年の春、情報研の藤山さんと、京都大学の佐藤さんが合同で主催した「脊椎動物進化研究のシンポジウム」に参加して、初めてこの単語を聞きました。ヨーロッパの研究者の何人かがこの単語を使っていました
日本は進化学の理論面では、第一級の人々を何人も生み出しています。なかでも木村資生(キムラ・モトオ:1924-1944)は、ダーウィン、メンデルに並ぶ重要な位置にあると思われます。
1)進化学や遺伝学を学ぶ日本人の生物学者で、木村資生を知らない人はいないでしょう。
しかし、日本国内での活動が少なかったためか、もう一人の巨人である大野乾の業績は、あまり話題にならないような気がします。
大野乾のもっとも重要な業績のひとつは、「遺伝子重複が進化に重要な役割をはたしてきた」という仮説です。現在ではあまりにも当たり前すぎて、わざわざ顧みられないということかもしれません。この理論についてまとめた著書”Evolution by Gene Duplication”は、1970年に出版されています。この本は英語で書かれて米国で出版されたため、1977年にその邦訳「遺伝子重複による進化」(山岸英夫・梁永弘、訳)が、岩波書店から出版されました。
この本を実際に読んでみると、面白いことが分かります。大野の遺伝子重複の話を、高校の理科の資料集などでみると、「一つの遺伝子が二つに重複すると、片方の遺伝子に変異が入っても生物が生きていける」というような説明になっていると思います。ところが、著書内では大野は「そんなことはあんまり重要ではなかろう」と言っているのです。
(本書を持っておられる方は、第V部第19章の2「直列重複だけに頼る事の無意味さ」を読まれよ。)
「もちろん、それも重要であろう。しかし、それだけで脊椎動物の進化のような劇的なことは起こらなかったのではないか。」
2)と大野は考えたようです。そこで出て来たのが、「ゲノム全体が一度に倍になることで、全ての遺伝子が倍になるシステム」つまり「ゲノム重複」です。そのようなメカニズムは、染色体の倍数化というすでに知られた事実で説明がつくからです。
今では、ゲノムDNA解読が可能になり、DNA配列が倍になっているか、実際に調べることができるようになりました。無脊椎動物から脊椎動物に至る過程で、ゲノムが2回重複し、4倍体となったことは、ほとんど常識になってきています。それは教科書的には、HOXのクラスターが無脊椎動物では1つであるのに対し、脊椎動物では4つあるということで説明されます。
3)
しかし今から40年以上も前、大野はどのようにして、脊椎動物におけるゲノム重複の事実を推定できたのでしょうか。わたしも本書を読むまで知りませんでしたが、実はDNAの細胞あたりの重さを計って、比べているのです。
4)
第19章の表の3には、
「ヒトの半数体ゲノム量を3.5x10
-9mg DNAとした時の%」として、多くの動物のDNA量を比較しています。
そこでは、ヒトを100%とした時に、ホヤが6%、ナメクジウオが17%、メクラウナギが80%、ヤツメウナギが40%、ギンザメ43%、など数十の動物のDNA量が書かれています。
5) 6)
このようなDNAの"重さ"から、脊椎動物のDNA量が、近縁の無脊椎動物に比べて、ほぼ4倍と言える事を、大野らは突き止めたのです。
また、ゲノム全体が一度に重複する事で、遺伝子どうしの調節関係(今で言うネットワーク!?)の多様化が可能になることに、大野が気づいていたことも驚きです。
7)
さて、話をもどしますと、「単純に一つの遺伝子が倍になること」から始め「ゲノム全体の倍数化」さらには「遺伝子同士の調節の多様化」ということの重要性にいち早く気づき、1970年に著書を記していた大野乾の先見性が、現代の進化学者には、あらためて驚きをもって迎えられているという事です。
そこで、「全ゲノム重複が起こった後にできる、パラログの1セット」の関係を、誰が言ったか「Ohnologue」と呼ぶようになったという訳です。
私個人としては、現代的な意味でこの意義に気づき、大野の気づいていなかった点、当時では分からなかった点などを含めて、真の再評価をしたのは、イギリスのピーター・ホーランド博士だろうと思っています。
8)
件のナメクジウオ論文でも、「このゲノムが決まった事で脊椎動物のOhnologueの様子が詳しく分かる」ということが強いメッセージとしてある訳です。
そういうわけで、欧米で再評価の機運の高い大野乾博士。日本人がもっといろいろ知ったら良いのにと思ってこの記事をかいたような次第です。
9)
1) 私を含め、そう思う人は少なくないだろう、と思います。
2) 「見て来たような嘘をいい」と言いますね。カギ括弧をつけてますが、私が勝手に書いてるんです。どこかから引用したオオノ博士の台詞じゃありません。このblog全部がそうです。念のため。
3) 「ヤツメウナギの話はどうなのよ?」とか、「魚類はもう一回重複して8倍体」とか、「ツメガエルの疑4倍体」とか、そういう話は、おいておいてください。こんがらがるから。
4) 正確には重さでなく、密度。押しつぶした細胞の染色体を染色し、光学的な密度測定値を、ヒトのものと比較し、重さを推定している。(らしいです。詳しくはしりません。)
5) この表の末尾に「フグ14%」と書いてあるのも、ゲノム研究をしている人々なら「ほほー!」と思うところでしょう。
6) コイ目の表では、2倍体型のニゴイが20%で、4倍体型のニゴイは49%、というふうに、染色体の倍数化とこの表のDNA量の相対量が、ほぼ一致している事もわかります。
7) もっとも、このネットワークに関する記述には、ウニ研究界のドン、E.H.Davidsonの論文が引用されています。E.H.Davidson博士は、ウニをモデルにした遺伝子ネットワークの解析で、今なお前線に君臨しています。
8) 1994に出版されたDevelopment誌のSupplement issueです。なんでこんな重要な号が、手に入りにくいんだろう。?
9) 私自身は、Ohnologueというより、Ohno-Holland Paralogueと呼ぶほうがふさわしいぐらい、ホーランド博士の業績の意義は大きいと思っています。でも「オノログ」の呼びやすさに負けたというところか。