ドバイ空港のトランジットは4時間程度で、今度はテヘランへ1時間のフライト。どういうわけかこの1時間がものすごく辛かった。
下記はトイレではなく、お祈りのために手足を洗う場所らしい。Abulutionは沐浴という意味だと知りました。今度外国の人を神社に案内することがあったら、手水舎のことを「for Abulution」と説明してみようと思います。

今回のイベントは、イランとしてはかなり大きなものだったらしく、なんと世界72カ国から、平均6名ぐらいが参加とのこと。ちなみに日本チームは19人で最大数。参加者を全員合わせれば、400人以上。ものすごく多い数ではないけれど、経済封鎖とかいろんなことがある中で、こういう国際的なイベントを開催するのはイランにとって大事なことなんだろう。とはいえ、空港での出迎えはちょっとやりすぎじゃないかと思った。入国審査の手前のところにすでに四人ぐらいが出迎え。(どうして入ることが許されるんだろう?)。彼らの指示に従って入国審査もテキパキ終わる。(出迎えの人たちの指示に従い、Iranianというところに並ばされた)。荷物をとったら、出迎えの女性がバラを一人に一つずつくれて写真撮影、テレビカメラまで来ていた。
バスに乗ると、パトカーが先導してグイグイ走る走る。なんのトラブルもなく、初日のホテルにつきました。警察を動員できるイベントって、日本だと他国の元首クラスの人がくるとき、ってイメージですよね?
(写真は、ホテルに到着時に運転手さんとパトカーの警官が話しているところ。)

時差のことや打ち合わせもあるので、我々日本チームは1日早く到着したのだ。なんとホテルのすぐ前が、有名な「旧米国大使館」。1979年のアメリカ大使館人質事件の現場なのだ。もっともその事件のことは、わたしは漫画の「マスターキートン」でしか知らなかったけど。
DOWN WITHっていうのは、「〜を打倒せよ」という意味。 Down With USAと書いてあるわけです。とか言ってますけど、イランに行ってわかったのは、たぶんイランの人たちはアメリカ文化も日本文化も大好きです。どこにいっても置いてあったのは、ミニオン!とエルサとキティーちゃん。

基本的に体力回復のための1日だったのですが、元気な人と、私のようなおっちょこちょいは、地下鉄に乗って近くのバーザールまで行って来ました。行けども行けども靴屋さんの通りとか、下着の通りとか。イランの人たちの女性の下着は派手なのばっかり。びっくりしました。いろいろあって、19人もいるのに現地通貨を持っているのが2名だけ、というありさま。この機転のすばらしくきく御二人に全員がすがって、イランリヤルを借り、地下鉄での往復を果たしたのでした。地下鉄の運賃は、たしか2~3万リヤルぐらいで、日本円にして50~80円。これで一定時間乗ることができます。わたしもイランリヤルは空港で手に入れるつもりでしたが、空港で、あまりにVIP扱いでスムーズにバスまで連れて行かれて、そのチャンスを逸したのでした。案内人の人たちが「リヤルなんてホテルで替えられる。大丈夫大丈夫」と言ったのを信じたのがまちがい。ちなみにこのあと1週間、ただの一度もユーロやドルをホテルでリヤルに交換するチャンスは訪れなかったのでした。このことがあとでボディーブローのように効いてきます。
イラン滞在記を書くのをすっかり忘れていました。
写真はドバイ空港のトイレ。中東圏の多くでは、用を足した後はシャワーと手で洗い、手もシャワーで洗った後、備え付けの紙で手を拭いて、拭いた紙はゴミ箱に捨てる。この時点ではそのことにまだ気がついていなかった。
あらゆる仕事を華麗にスルーして、イラン旅程を確保したのですが、出発直前に娘が発熱。家族に申し訳なく思いながら、成田に向かいました。この時点でイランでの仕事内容も知らないし、一緒に行く人たちについても一人を除いて顔を見たこともない。同行者の名前のリストを持っているだけ。期間中はほとんどお金を使うチャンスはないという情報だけが来ていましたが、不安なので成田で数万円分のユーロを確保しておきました。(このユーロが後々たいへん役に立つのでした。っていうかこれなかったら何にもできなかった。)とにかく準備が整えられない状況での出発でした。
まずは、カタール航空でドバイへ。飛行機に乗り込む直前までには、さすがに何人かの関係者と顔合わせを果たすことができました。ここで、「イランの関係者からのオフィシャルレター」を私が持ってきていないことに気がつかされかなり慌てました。これをパスポートとVISAと一緒に提出しなければ入国審査が通らないというのです。幸いにも日本人グループの中心人物の一人であるKさんが「そういう人もあろうかと」と言って、コピーを渡してくれ、無事落ち着いた気持ちで機乗することができました。Kさんありがとう。
カタール航空はなかなか乗り心地が良く、長いフライトもそれほど忍耐を必要としませんでした。機内では「ティファニーで朝食を」をみて時間つぶし。どこかで見たことのあるいくつもの名シーンから想像していたのとは違い、オードリー・ヘップバーンがパッパラパーの女性の役をする映画でした。
そしてドバイ空港へ。どれほど最先端なのか、かなり楽しみにしていたのですが、あまり感心するような設備ではありませんでした。これは実はターミナルCだったからで、帰国時にターミナルAが噂通りの豪華設備であることを知ることになるのでした。
イラン滞在記を書くのをすっかり忘れていました。
あらゆる仕事を華麗にスルーして、イラン旅程を確保したのですが、出発直前に娘が発熱。家族に申し訳なく思いながら、成田に向かいました。この時点でイランでの仕事内容も知らないし、一緒に行く人たちについても一人を除いて名前しか知らない。期間中はほとんどお金を使うチャンスはないという情報だけが来ていましたが、不安なので成田で数万円分のユーロを確保しておきました。(これが後々たいへん助かるのでした。っていうかこれなかったら何にもできなかった。)とにかく準備が整えられない状況での出発でした。
まずは、カタール航空でドバイへ。さすが飛行機に乗り込む直前には、何人かの関係者と顔合わせを果たすことができました。ここで、「イランの関係者からのオフィシャルレター」を私が持ってきていないことに気がつかされかなり慌てふためきました。これをVISAと一緒に提出しなければ入国審査ができないというのです。幸いにも日本人グループの中心人物の一人であるKさんが「そういう人もあろうかと」と言って、コピーを渡してくれ、無事落ち着いた気持ちで機乗することができました。
カタール空港はなかなか乗り心地が良く、長いフライトもそれほど忍耐を必要としませんでした。機内では「ティファニーで朝食を」をみて時間つぶし。どこかで見たことのあるいくつもの名シーンから想像していたのとは違い、オードリー・ヘップバーンがパッパラパーの女性の役をする映画でした。
そしてドバイ空港へ。どれほど最先端なのか、かなり楽しみにしていたのですが、あまり感心するような設備ではありませんでした。これは実はターミナルCだったからで、帰国時にターミナルAが噂通りの豪華設備であることを知ることになるのでした。
写真はドバイ空港のトイレ。中東圏の多くでは、用を足した後はシャワーと手で洗い、手もシャワーで洗った後、備え付けの紙で手を拭いて、拭いた紙はゴミ箱に捨てる。この時点ではそのことにまだ気がついていなかった。
イラン滞在記を書くのをすっかり忘れていました。
あらゆる仕事を華麗にスルーして、イラン旅程を確保したのですが、出発直前に娘が発熱。家族に申し訳なく思いながら、成田に向かいました。この時点でイランでの仕事内容も知らないし、一緒に行く人たちの中で知ってる人は一人だけ。残りの人については、名前しか知らない。期間中はほとんどお金を使うチャンスはないという情報だけが来ていましたが、不安なので成田で数万円分のユーロを確保しておきました。(これが後々たいへん助かるのでした。っていうかこれなかったら何にもできなかった。)とにかく準備が整えられない状況での出発でした。
まずは、カタール航空でドバイへ。さすが飛行機に乗り込む直前には、何人かの関係者と顔合わせを果たすことができました。ここで、「イランの関係者からのオフィシャルレター」を私が持ってきていないことに気がつかされかなり慌てふためきました。これをVISAと一緒に提出しなければ入国審査ができないというのです。幸いにも日本人グループの中心人物の一人であるKさんが「そういう人もあろうかと」と言って、コピーを渡してくれ、無事落ち着いた気持ちで機乗することができました。Kさんありがとう!
カタール空港はなかなか乗り心地が良く、長いフライトもそれほど忍耐を必要としませんでした。機内では「ティファニーで朝食を」をみて時間つぶし。どこかで見たことのあるいくつもの名シーンから想像していたのとは違い、オードリー・ヘップバーンがパッパラパーの女性の役をする映画でした。
そしてドバイ空港へ。どれほど最先端なのか、かなり楽しみにしていたのですが、あまり感心するような設備ではありませんでした。これは実はターミナルCだったからで、帰国時にターミナルAが噂通りの豪華設備であることを知ることになるのでした。
写真はドバイ空港のトイレ。中東圏の多くでは、用を足した後はシャワーと手で洗い、手もシャワーで洗った後、備え付けの紙で手を拭いて、拭いた紙はゴミ箱に捨てる。この時点ではそのことにまだ気がついていなかったのでした。
この7月13日からイランに行く予定です。目的地はテヘランのみ。10日間の出張で、移動に費やすのが往復それぞれ二日の合計4日ですから、滞在は実質6日ぐらい、しかもその間のほとんどの時間は仕事のためにホテルの一室に缶詰にされる予定です。それでも少しぐらいは気分転換に外に出る機会も作れるはずですから、見れるものをできるだけたくさん見てこようと思います。初めての中東訪問はとても楽しみです。
私がかつて留学していた米国カリフォルニアには、イラン人の人がたくさんいました。私のボスも親はイラン系だと聞きました。1970年代のイラン革命で、たくさんのイラン人がアメリカに亡命したのだと読んだことがありますので、その名残でしょう。カリフォルニアであうイラン系の人はみんな、すごいお金持ちという印象がありましたが、逆に言えば、イラン系でカリフォルニアに住めるのは成功者のみということだったということかもしれません。友達のDくんの彼女もイラン系のものすごい美人で、周りの女性たちが「あ、またペルシャのお姫様がきた」というようなちょっとした皮肉を言っていたのを覚えています。(当時、英語で悪口を聞いていたわけですが、記憶では日本語になっているのが不思議です。"Persian Princess" と言っていたのかな?)
今回の滞在は、副業での仕事。でも職場の上長の許可も、研究所の所長の認可も降りている、正式な兼業仕事です。飛行機や宿の手配、VISAから何からぜーんぶを、仕事を依頼した先方や私の職場の方々が対応してくれていて、ものすごく気楽です。「大手の会社員の出張って、こんな感じなのかな?」と想像しています。
ペルシャ語もこの機会に勉強しようと思い、白水社の「ニューエクスプレス ペルシア語」も購入しました。ネット上にもあまりにペルシア語に関する情報がないのに驚きです。日本にはペルシア文化についても情報が少なすぎます。そういう私だって、この仕事が依頼された際に、知っていたペルシア文化に関する知識は、ケテルビーの「ペルシアの市場にて」による雰囲気と、司馬遼太郎の「ペルシアの幻術師」を読んだだけ、という酷い有様でした。にわか勉強がどれぐらい進むものか、たいして日もありませんが、もう少しばかり頑張って出張に備えてみようと思います。